ホラー系映画で史上初の作品賞
「羊たちの沈黙」が主要5部門を独占した。主要5部門の独占は、アカデミー賞史上、「或る夜の出来事」(1934年)、「カッコーの巣の上で」(1976年)に続く史上3作品目となる。実に16年ぶりの快挙だった。主要5部門とは、作品賞、監督賞、脚色賞(または脚本賞)、主演男優賞、主演女優賞である。
ホラー映画としては、史上初のアカデミー賞作品賞である。「羊たちの沈黙はホラー映画か?」と思われる人もいるだろうが、ハリウッドでは広い意味でのホラー映画と位置付けられている。その後、ホラー映画で作品賞を受賞した作品はまだ出ていない(2010年現在)。
「スリラーは冷遇」の常識を打ち破った
この年の作品賞レースは、当初は「JFK」(候補8部門)や「バグジー」(候補9部門)が有利と思われていた。いずれも、アカデミー賞に強い「歴史もの」で、とくにケネディ大統領暗殺事件の謀殺説を描いた「JFK」は、政治的にリベラルなアカデミー会員からは票を集めやすい作品だったからだ。
投票権を持つアカデミー会員は、高尚で感動的なスペクタクル大作が好きだ。英語でいえば、「UPLIFTING」、すなわち、気分を高揚させるような作品だ。「羊たちの沈黙」は、UPLIFTINGでもないし、歴史ものでもない。これまでの典型的な作品賞受賞作とは明らかにタイプが違う。アカデミー賞では冷遇されてきたスリラー作品である。
「羊たちの沈黙」が、こうした従来の投票行動パターンを打ち破ったのは、やはり、エンターテイメント作品としての完成度の高さと、人間の内面を深く描いたドラマ性によるところが大きかったであろう。
前半の作品なのに受賞
しかも、「羊たちの沈黙」がすごいのは、前年度の前半に公開された作品だったということだ。通常、前半に公開された作品は不利になる。前半に公開されると、感動や盛り上がりが薄れてしまうからだ。だから、アカデミー賞を狙っている作品はたいてい、年末に公開される。公開してしばらく話題性が高まっているところに賞にレースに突入し、さらにノミネートされることで観客動員を増やすという営業戦略が基本なのである。最近では、「クラッシュ」(2005年)が前半の公開だったのに、年末公開の「ブロークバックマウンテン」に競り勝った例がある。
配給会社が倒産したのに・・・
もうひとつ、「羊たちの沈黙」の特筆すべき点は、年末は配給会社オライオンが倒産してしまったことだ。アカデミー賞のレースでは、映画の配給会社が中心となって年末から2月にかけて「選挙運動」を展開する。「○○に一票をお願いします」という訴えを、口コミやメディアを通じてアカデミー会員に呼びかけるのである。オライオンの倒産によって、「羊たちの沈黙」は選挙運動の後ろ盾を失っていたのである。それでも受賞したのはやはりすごい。ジョナサン・デミ監督は受賞のスピーチで「オライオンに起きたことを考えてみると、すごい皮肉だよね」と語った。「羊たちの沈黙」に対しては、同性愛者の権利団体が「同性愛者に対する差別的表現がある」として、アカデミー賞の授賞式を妨害すると脅していた。会場の外では数百人が抗議のデモを行い、10人以上が逮捕された。しかし、授賞式を中断するような行為には至らなかった。ちなみに、主演女優のジョディ・フォスターが同性愛者であるという観測は、当時はあまり広まっていなかった。
監督賞は予想通りジョナサン・デミ
監督賞は、大方の予想通り、ジョナサン・デミが受賞した。「羊たちの沈黙」でのデミの手腕は見事だった。猟奇的なストーリーを面白ろおかしく描くのでなく、知性に訴えかけるような映像作品に仕立てたのは、大したものだ。
今回の監督賞候補では、デビュー作「ボーイズ'ン・ザ・フッド」の新人ジョン・シングルトンが、「市民ケーン」のオーソン・ウエルズの最年少記録を抜いて、23歳でノミネートされて話題となった。そのほか、「JFK」のオリバー・ストーン、「テルマ&ルイーズ」のリドリー・スコットなど、日本でもおなじみの顔ぶれがそろった。
一方で、「サウス・キャロライナ/愛と追憶の彼方」のバーブラ・ストライサンドが漏れた。バーブラ・ストライサンドは泣く子もだまる大女優・大歌手であり、米エンターテイメント界の超大物である。バーブラ・ストライサンドは監督賞のノミネートから漏れたとき、女性差別だとの不満を漏らしていた。
忌まわしい過去を引きずる中年男と女性セラピストの恋を見つめた「サウス・キャロライナ/愛と追憶の彼方」は、主演男優、助演女優、脚色、美術監督、撮影、作曲の7部門で候補にのぼったが、受賞できなかった。監督部門にノミネートされなかった。
ジョディ・フォスターが2度目の主演女優賞受賞
ジョデイ・フォスターが、2度目の主演女優賞を受賞した。「羊たちの沈黙」では、前回のオスカー受賞作「告発の行方」を上回る迫真の演技を見せた。歴史的な名演を見せたアンソニー・ホプキンスと堂々と渡り合えたのは、見事なものだ。追いつめられたときの緊張感のある表情や、抑揚のきいたストイックなキャラクターの演じ方が印象深かった。「タクシードライバー」などの子役で大成功を収めていながら、これほどのしっかりとした大人に成長したのは見事としか言いようがない。リンジー・ローハンもみならって欲しい。
主演女優賞には「テルマ&ルイーズ」のスーザン・サランドンとジーナ・デイビスなどもノミネートされていた。しかし、ジョディ・フォスターの名演に比べると見劣りしている。アカデミー賞を受賞した俳優はその後のキャリアが落ち目になるというジンクスがあるが、ジョディ・フォスターは90年代、そして、00年代を通じて大活躍を続けた。
アンソニー・ホプキンスが英国人3人目の主演男優賞
「羊たちの沈黙」で異常殺人鬼「ドクター・レクター」を演じたアンソニー・ホプキンズが主演男優賞を受賞した。英国人の受賞は、ダニエル・デイ・ルイス、ジエレミー・アイアンズに続いて3人目である。
彼の鬼ぶりには迫真力があった。特に異様な目の演技とすべてを見通すような物腰は、見る者を威圧するほどの怖さがあった。
ノミネートには大物がそろった。アカデミー賞常連のロバート・デ・二ーロは、「ケープ・フィアー」でノミネートされた。デニーロは「ゴッドファーザー2」で助演賞、「レイジング・ブル」で主演賞を受賞している。ノミネートは6作目である。同じく常連のウォーレン・ベイティは「バグジー」でノミネートされた。ベイティは1982年に「レッズ」で監督賞を受賞したが、男優としてはまだ受賞していない。ロビン・ウイリアムスも3回目のノミネートとなった。
「羊たちの沈黙」とは
若い女性ばかりを殺して、その皮を剥ぐ異常性格犯を追う女性FBl捜査訓練生と、元天才的精神科医師で殺人鬼のレクター博士の心理戦を描いたサイコスリラー。人間の猟奇性が活写されている。狂気的な犯罪が多発する時代性を見事にとらえた。この映画の大ヒットにより、世間では犯罪心理学が注目され、サイコスリラー・ブームが起きた。
「美女と野獣」がアニメ史上初の作品賞候補
ディズニーの「美女と野獣」がアニメ作品としては史上初めて作品賞にノミネートされた。
作品賞は逃したが、作曲賞と主題歌賞の音楽関係の2部門を獲得した。主題歌部門では、「美女と野獣」から同じ作詞者/作曲者の3曲がノミネートされてしまった。票がわれて共食いにならぬよう、ディズニーはアカデミー会員に対して、主題歌の「美女と野獣」に絞ってくれるように頼むダイレクト・メールを発送した。
ディズニーは、戦前の「白雪姫」(37),「ピノキオ」「ファンタジア」(ともに40)、戦後も「シンデレラ」(50)「ピーターパン」(53)など、常にアニメーション映画をリードし続けてきた。それが、70年代に入ると衰退の一途をたどり、その栄光も過去の話となっていた。
その後、暗中模索を繰り返した同社は、ブロードウェー・ミュージカルで成功していた作詞ハワード・アシュマン、作曲アラン・メンケンのコンビの洗練された甘美な音楽とロマンチックなストーリーを組み合わせることによって「リトル・マーメイド」(89)で見事な復活を見せる。本作はそのコンビによる2作目の映画であり、2年連続のオスカー受賞となった。
完成直後にアシュマンがエイズで亡くなった。パートナーのメンケンは「アラジン」(92)で3回目のオスカーに輝いた。
「ターミネーター2」が4部門も受賞!
「ターミネーター2」が、なんと、4部門で受賞した。「メイクアップ賞」「視覚効果賞」「音響賞」「音響効果編集賞」である。主要部門ではないが、子供のSF映画として軽く見られがちなこの手の作品としては、ほんとうによくやった!それだけ技術的にも優れていたということだろう。賛否両論がうずまいたJFK
ケネディ大統領の暗殺を描いた「JFK」。オリバー・ストーン監督は、暗殺の真相に迫ろうとする検察官の戦いを通じて、「ケネディ殺害は、軍部やCIAなど国家機構による暗殺であり、クーデターだった」という説を説いた。ケネディ殺害は「オズワルドという人物の単独犯だった」とする米政府の見解のデタラメぶりを徹底的にこけ下ろしている。
アメリカでは賛否両論がうずまいた。保守派からは「バカげている」という批判が出た。リベラルな大手メディアからも、オリバー・ストーン監督の考え方、表現方法が「極端するぎる」「国家を侮辱しすぐ」との声があがった。とくに、ケネディ氏死去で自動的に大統領に昇格したジョンソン副大統領が暗殺に関与したとする説を唱える点などは、批判の的となった。
それでも、映画関係者はこの映画を熱烈に支持する声が強かった。闇に葬られそうになった真実を解き明かそうとする姿勢に共感したからだ。JFKのアカデミー賞作品賞や監督賞などのノミネートによって、ハリウッドは「オリバー・ストーン監督支持」を明確にしたといえる。
興行的にも「JFK」は成功し、ケネディの暗殺説は国民の間でも広まった。アメリカの政治家たちも真相解明に重い腰を上げ始めるようになった。