アカデミーは名誉的な組織として設立されました。
会員資格は、今も昔も招聰によってのみ認められます。
まさに当初からハリウッドの創造的なエリートの組合を作ろうと考えられていたのです。
アーティストたちは、「映画産業への貢献が抜きん出ていて、アカデミーの会員が同朋として迎えたいと思ったときに」加わるよう招聰されます。
アカデミーの規約の第1条第2項は、会員資格を明文化しています。
すなわち、「映画産業の製作部門において、直接的ないしは間接的に、顕著な業績を達成するか顕著な地位を得たもの、あるいは、同じく貴重な貢献をした者で、優れた品性と人間としての評価の高い人物は、理事会の投票か資格委員会の推薦によりアカデミーの現役会員となることができる」ということです。
サマンサ・マシス
アカデミー創立当時、アカデミー賞を授与することが、そこまで重視されておらず、ほんの一つの目的にすぎなかったのです。
アカデミー創立のおもな動機は、1926年の映画産業の労働組合化にあり、設立時に9つのメジャーのスタジオと5つの組合が撮影所基本協定を結びましたが、この組合協定は技術労働者だけに適用されるもので、監督、脚本家、俳優たちはまだ統一された契約を持っていませんでした。
実際、最初の数年、アカデミーは種々の技能集団の利益を代表する労働組織とみなされていました。
それゆえ、その会員資格は製作スタジオや何か特別な創造集団に限定されているわけではないということが強調されていました。
もう一つの目的は、多様な専門的知識を持つアーティストたちが出会い、考えを交換する場を作るということでした。
しかしながら、スタジオが、とりわけMGMが、アカデミーの創設に力を貸したために、多くのアーティストたちは、アカデミーがMGMの拠点となり、結果として、他の技能集団を支配し抑制するのではないかと恐れていました。
アカデミーの創立者たちにとって、賞の機能があまりはっきりしていなかったということは、また、アカデミーと1911年に創立されていた俳優組合との間の、どちらの組織が俳優たちを代表する権威を持つべきかという争いからも、明らかでした。
この問題は、映画の演技者の多くがニューヨークの舞台出身で、彼らが俳優組合の組合員であったため、不明瞭なものでした。
結局アカデミーのほうが、1929年に統一的なものとしては最初のフリーの演技者のための契約を発表して、この争いに勝利を収めました。
1932年、アカデミーはジェームズ・キャグニーと彼の雇用者であるワーナー・ブラザースとの労働争議を解決し、「不和を調停するうえでのアカデミーの能力」を示して、もう一つの業績を披露しました。
映画史家たちが述べているように、アカデミーは1930年代に種々の映画組合が創設されるまでの5年間、ハリウッドのアーティストたちの間で、手強い労働組織が作られるのを妨害することに成功しました。
この点で、アカデミーは奇妙な組織でした。
なぜならそれが労働基準に向けての団結に欠けており、また、他のすべての技能集団の中では製作会社の利益をもっともよく代表していたのは明らかだったからです。
しかしながら労働組織として、アカデミーは構造としても意図の面でも革新的でした。
というのも、アカデミーは雇用者(スタジオの重役)と被雇用者(映画アーティストと技術者)の両方に、同等の代表権を与えていたからです。
アカデミー賞を授与する団体「映画芸術科学アカデミー」の設立を提案したのは、ハリウッドの映画会社MGMのルイス・B・メイヤー会長です。
1927年、メイヤーと36人の監督、俳優たちがロサンゼルスのホテルで会い、映画芸術科学アカデミー(AMPAS)の設立を決定しました。
3月19日に、AMPASが非営利団体として創立され、少しのちにその目的が決められました。
そのうち、もっとも重要なのは以下のようなものでした。
- アカデミーは、不正な外部からの攻撃に直面した際には積極的な行動をとること。
- 会員相互と異なる部門間の調和と団結を促進すること。
- 存在ないしは生じることのありうる内部の組酷を調整すること。
- 業界の繁栄を増進し、その名誉と評価を守るのに適当な方法や手段を採用すること。
- 建設的な考えを交換し、際立った業績に対し賞を授与することによって、
業界の芸術と科学の改良と前進を奨励すること。 - スクリーンの、よりいっそうの力と影響を発展させるための措置をとること。
一言で言えば、アカデミー賞は、他の偉大な国家的および国際的な団体が他の芸術や科学、産業のためにしてきたことを、あらゆる部門にわたって映画業界のためにするよう提案する、ということでした。
