アカデミー賞

受賞

受賞 作品賞
監督賞
エリア・カザン
主演男優賞
マーロン・ブランド
助演女優賞
エヴァ・マリー・セイント
脚本賞
バッド・シュールバーグ
撮影賞(白黒部門)
ボリス・カウフマン
美術監督賞(白黒部門)
リチャード・デイ
編集賞
ジーン・ミルフォード

ノミネート

ノミネート 助演男優賞
リー・J・コッブ
助演男優賞
カール・マルデン
助演男優賞
ロッド・スタイガー
ドラマ・コメディ音楽賞
レナード・バーンスタイン

映画「波止場」とは

脅迫に屈しない青年をプランドが熱演

港湾労働者を不当に安く使おうとするヤクザまがいの経営者と労務者の闘争を、兄弟の葛藤を交えて描き出した社会派リアリズムの秀作。エリア・カザン監督が2度目の監督賞を獲得、マーロン・ブランドが初の主演男優賞に輝いたほか、助演女優賞、撮影賞ほか8部門を制覇。

1954年/アメリカ/108分/原題「On the Waterfront」

引用元:日経エンタテインメント!増刊 アカデミー賞特集号 [雑誌]

動画

予告編

字幕なしです。

エリア・カザン監督

1940、1950年代の巨匠

「波止場」のエリア・カザン監督は、波止場のほか、「エデンの東」「欲望という名の電車」「紳士協定」といった歴史的な名作を生みだした。

映画評論家・品田雄吉氏によれば、1940、1950年代には、米映画のトップランナーとしての勢いを見せた。社会の現実に切り込む完成度の高い作品を生んだ。ジェームズ・ディーンに代表されるような『そのものになりきる演技』を開発し、スクリーンで実践した監督でもある。

マーロン・ブランド、ウォーレン・ベイティなど名優を発掘・育成したことでも知られる。

トルコでギリシャ人のじゅうたん商の息子として生まれた。4歳の時に米国に渡った。舞台俳優として、演劇の世界に飛び込んだ。

1930年代に舞台演出に転じた。劇作家アーサー・ミラーと組んで「セールスマンの死」を手がけた。また、「欲望という名の電車」「熱いトタン屋根の上の猫」などテネシー・ウィリアムズ作品の演出は、大評判となった。

1940年代から映画を手がけ、「欲望という名の電車」(1951年)を舞台をもとに映画化した。また新人ジェームズ・ディーンを主演に起用して「エデンの東」(1955年)を生み出した。ユダヤ人差別を取り上げた「紳士協定」(1947年)、「波止場」(1954年)でオスカー監督賞を獲得した。

「赤狩り旋風」が吹き荒れた1950年代、米下院非米活動委員会で自らが1934年から1936年まで米国共産党のメンバーだったことを明らかにした。共産党員やシンパとしてハリウッドの俳優や脚本家らの名前を暴露した。多くの映画関係者が映画製作の場から追われることになり、映画・演劇界に深い傷跡を残した。

このため、1999年3月の第71回アカデミー賞授賞式で特別名誉賞を受けた際には、会場周辺で抗議のデモが行われた。会場では、立ち上がって拍手を送った人はまばら。着席したままで、冷たい視線を投げる俳優や脚本家の姿も目立った。

赤狩り

米国では1950年代、マッカーシー上院議員(共和党)が、政敵攻撃の手段として、反共活動を展開して、「マッカーシズム」と呼ばれた。下院に設置された非米活動委員会は、反体制破壊活動などを調査するとの名目で、作家、ハリウッドの映画人などに対する審問を行った。